予定どおりにいかない
予定通りにいかなくても
思い通りにいかなくても
気にしない。
なんてそんなに簡単にできないよぉ。
今までの気持ちや計画にかけたいろんなものが無になってしまう気がするんです。
予定通りにいく、思い通りになる、なんてことの方が稀なのにね。小さなことはうまくいくことがあるけど、そんなことならうまくいかなくても気にしないことが苦にならないかな。
もしかして、うまくいかないことを気にしないでいられたらうまくいくことがあるのかも!
っていうか、気にしないでいると合格のハードルが下がるからうまくいったように感じるんだよね。
とりあえず、合格のハードルの高さを下げて人生の後半を流れ流されていこうと思う。
怒る人
世の中にはいろんな人がいます。
怒りを露わにする人がいます。怒る人です。自分も怒りますからよく分かります。
何で怒るのか?いろんな理由があると思いますが「自分の思った通りになっていない」ということに苛立ってしまうことがあります。思った通りにしたい対象は人、物、世の中などとさまざまです。
人、物について一つの例として次のようなことが考えられます。
人の場合は自分が相手に対して理想通りの行動をとるよう説明・理解させることができていない、という力不足によるものです。
物の場合は自分が物を理想的な形にすることができない、という力不足によるものです。
そして、世の中の場合は…歴史的に観ても本当に思い通りにできた人はいないので所謂無理ゲーかと考えます。
結局、自分自身の力不足やどうしようもない理由にもかかわらず思い通りにならないことに苛立ち腹が立つように感じます。
どうすればいいのか?
一つは自分の力不足を補い力をつける。
または、諦める。というと何だか気持ちがモヤっとするから言い方を変えると思い通りのハードルを現実的なレベルまで下げる。
そして良くない方法ですが…
相手を支配して無理矢理言う通りにさせる。
問題は怒ると相手がいうことをきいてしまうことがあるのです。
力不足を補う努力をすることよりも、自分の気持ちのハードルを下げることよりも怒って言う通りにさせることができれば楽なんです。
苛立って(ついつい)怒ってしまうケースと思い通りにさせるために支配的な立場に立とうと怒るケースがあるとすると後者の方が困りものです。
とりあえず、怒ってしまうときは前者のケースでおさめておきたいものです。
説得はできない
自分の意見を相手に伝えるときのことです。
話して分かってくれる人は、話さなくても分かってくれた(理解する力があった)可能性の方が高い気がする。
こちらの意見に不同意もしくはどちらでもない意見を持っていた人に理解を得られても説得に成功したのではなく、元々そのような意見を理解する素地があったんだと思う。
お釈迦さまも悟りを開いたが理解できる人がいると思えずに仏法を説くことに否定的だったけど、梵天勧請により衆生の中にも理解することができる者がいるかもしれない、ということで法を説き始めたほどだ。
そして、理解してもその先に了解というステージもあるし、説得や論破で相手を支配できたと思ってはいけないのだろう。
お釈迦さまでも無理なことは自分には到底無理なのだからね。
最初と最終的
「最初」という言葉があります。
「最終的」という言葉があります。
何ででしょうか?「最初的」はなぜ無いのか?もしかしたらあるのかもしれませんが…
個人的な理解だと「最初」とは一回だけで決まっている。でも、「最後」は「いつ」「どこ」なのか確定できない。終わったと思っても続きがあったり、まだまだ続くぞ!と意気込んでいても終わってしまったりする。
「最後」が確定できないから「最終的」という何度もいつでも使えそうな言葉になっているのでは?
だからなんだというとなんでもない。
電車の遅延
事故や天候などの理由で電車の運行が乱れることが多いですね。
出勤のとき、帰宅のとき、とちらも当てはまります。
乗り遅れる!と思って急いで駅に向かっても、駅に着いたら電車が遅れているなんてことがあります。
まぁ、遅れているということは待ってれば乗ることができるということなので気にすることもないのですが、焦って駅に向かった分の体力と気持ちの消耗でヘトヘトになります。
一番いいのは焦らず遅れても余裕を持っていくこと、なんだけど世の中そんなに甘くない。
個性の理解
悪口のことを書きながら少し思ったことがありました。
自分はいわゆる「鈍臭い」タイプの人間です。動作が遅いんです。実はいろいろと理由があったりします。
特に理由なく(ぼーっとしていて)動作を開始するのが遅いこともありますが、実行する前に考えてしまう(考える内容は本当にいろいろです)ことが多いのです。
目的の妥当性とか、方法の妥当性とか…
こういうタイプは急ぎの件には本当に向かないというか邪魔になりますね。
一応、自分でも対応策を持っていて、色んなことが起こる前に考えておく、ということをやっていたりします。
何もしなくていいときは、そんなことを考えています。仕事でもプライベートでもどうでもいいことでも(もし)こんなことが起きたら?ということをいつも考えています。
だから普段からぼーっとしてるように見えるっていう逆効果もあります。(見えるだけじゃなくて実際に他のことを考えているので今のことが上の空になってることもある)
あと、字が書けないっていうと知的に問題があると思われてしまうけど、そう言う意味じゃなくて、役所とかで手続きするときに「ここに名前を書いてください」って言われて一瞬(数秒?)なにを書いていいのか迷ったことがあり、少しして○○って書くんだと思って書いた。
一瞬だけごく稀に住所って?名前って?と言う感じになる。咄嗟に誕生日とか勤務先の名前や所在地とかは思い出せない人も多いかもしれないですが、それと同じなのか少し違うのかわからないです。
まぁ、世の中にはそういう人もいると思って何か簡単なものを書くことができない(遅くなる)人がいても悪く言わないでくれたらいいなぁと思います。
悪く言われたりしてコミュニティの中にいるのが嫌になってしまうと人間関係がダメになるからね。
とりあえず、いろいろ遅い人がいても何とか許容してもらえると嬉しいです。
自分も他の人の個性を理解して許容できるようにしたい。第一歩は人のことを悪く言わないようにしよう。
非難するときの心
他人を非難することは自分も含めて多くの人に経験がある…
よね。
簡単に言うと『悪口』です。
自分も言ってしまうことがあるけれど気をつけたいことがあります。
『ひとのことを悪く言っても自分が正しいことにはならない』
つまり、自分を正当化するために他人の悪口を言わない、ということは心に留めておこうと思っています。